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願いが叶う満願寺

金堂の本尊は、古来より「開眼阿弥陀如来(めあきのあみだ)」と呼ばれてきました。
この仏像は、当山を開いた勝道上人の一刀三礼(一度刻んでは三回礼拝すること)の作と伝えられ、霊験あらたかに、数々の奇跡が現れました。

坂田金時パワースポット

金太郎の名で親しまれ、気は優しくて力持ち。 動物たちと戯れる姿が童話や童謡にうたわれている坂田金時。

満願寺の由緒

創建は、『伽藍開基記』によると神亀年間(724~728)聖武天皇の命により諸国に満願寺を建立した勝道上人が、摂津国の満願寺として千手観音を本尊に開基したと伝えられています。さらに安和元年(968)摂津の国多田(現在の多田神社である多田院)に本拠に構えたという清和源氏の祖といわれる満仲が、この寺に深く帰依したといわれ、歴代源氏一族の祈願所として崇敬を集め発展した。

そののち足利幕府の保護によっておおいに栄えましたが、室町時代末期に戦火で焼失。寄付によって再建され、現在の伽藍は1653(承応2) 年建立と伝えられている金堂や、1668(寛文8)年建立された観音堂など近世の建造物が現存しています。一時は四十九院を数える多くの院坊が存在しましたが、明治初年には円覚院のみとなり、明治31年より円覚院を本坊として現在にいたっています。


本尊と開創縁起

「摂陽群談」巻十四には、「大昔、素戔嗚尊高天原において乱行多く、ついに出雲の国に追放なるとき、この地に降臨し給ふ由縁をもって、神秀山と称し、また大慈悲の霊場なる故に千手院と号する」とあります。

寺記所伝には、 神亀元年(724)の三月下旬、比叡山の麓、北絹川のほとりに、毎夜、不可思議な光が輝き、琵琶湖の西岸白鬚明神のあたりの湖面を照らしていました。里の人たちは瑞光と崇めて誰ひとり近寄ろうとしませんでした。この話を伝え聞いた、荒木・井口・江口・坂本・佐伯・富田の六士が光の源を探索しました。湖上を照らす光は一つの洞窟より放出され、辺りはかぐわしい香りが立ちこめていました。勇を鼓して六士は、洞窟に入り探検を進めますと、洞窟の奥に一体の仏像が鎮座していました。六士は鄭重に窟外の岩上に運び拝したところ、一丈にもすぐる立派な千手観音でした。一行は歓喜し尊像をお守りしながら、夢のお告げに従って、はるばる摂津国坂根村(栄根)に運び安置しました。ところがある雪の激しく降る夜、突然尊像の姿がみえなくなったので、村人が諸所をたずねまわったとろ、栄根より北西の山中(満願寺奥の院の地)の岩上に立っておられたのを発見し、村人は「この地が観音様の思し召しの処」と解して、ここに手厚くお祀りすることになったのです。

そのころ聖武天皇は、信者の総ての願いを聞き届けて頂けるという満願の仏の功徳をもって、大衆を救おうと発願され、諸国に満願寺建設をすすめられ、日光補陀落山を開かれた勝道上人に各国一寺の満願寺建立を命じられ、勝道上人は霊感を得て、この地に千手観音を祀る伽藍を建て、摂津の国の満願寺として開創したと伝えられています。

 

名 称 神秀山 満願寺

宗 派 高野山真言宗
本 尊 千手観音
本尊真言 おんばざらたりまきりく
ご詠歌 むらくもは あとなく はれて てらのなの 
      ねがいもみつるもちのよのつき