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住職のお話

『マーケッティングについて』

聖職といわれる宗教家が、マーケッティングなどという俗な手段を弄するのは、いかがなものか。……などという心配は全く無用である。
私が知る範囲でも、マーケッティングに関してはプロも脱帽という『お坊さん』が幾人も居られる。
そもそも、宗教とは、『プロバガンダ』がその本旨ではないのか。どの宗教も、その本体は見極め難くても、まず眼に入るのは、『スローガン』であり、『うたい文句=キャッチフレーズ』である。 愛を説くキリスト教も、解脱に導く仏教もその点には変わりはない。
古来、幾多の偉大な宗教家は、巧みなプロバガンダを用いることによって、教線を拡大してこられたのは事実である。
わが寺の宗旨は現世利益肯定派であるから、大いに『効き目』のある『ご利益』を宣伝すればよいはずなのだが……… しかも薬の広告とちがって、薬事法などという規制も及ばない。
ところが、これが難かしい。 なにせ相手は『こころ』の問題であるから。『効き目』はあると思えばある。 無いと思えば無い。
『ご利益』はあるといえばある。 無いといえば無い。というような論理で、その先は哲学的思弁の世界?に入るかとみえて、正月酒でいささか頭のゆるんだ和尚の考究は、このあたりでUターンとなる。
さて御利益があるか無いかの議論はさておいて、マーケッティングの効能は現実的に存在する。その証拠に正月中に数十万、数百万と参詣者が押し寄せる大寺もあれば、年中閑古鳥の鳴いている寺もあるという具合である。両者にお祀りする御本尊の有り難さにどれほどの違いがあるというのか?
その違いは、どうも要するに宣伝力の違いというほかにないと見えるが……… 実は何を隠そう、和尚はそのむかしマーケッティングでは名の知られた某社の宣伝部門で働いたことがあるのである。
ところが紺屋の白袴、昔とった杵柄で、我田引水とは簡単にはまいらない。 ………なまじ知識理論が邪魔をして……… 『わが山寺のウリ(セールスポイント)はなにか?』『信仰、観光、健康の3コウがウリ!』なんてくだらないアイデアを思い付くだけで、コンセプトもなにも一向に発展がない。
根が怠け者の和尚はそこで何とか、金も体力も大して消費せずにすむ方策を……と、考えた挙句に思い到ったのが、新しい電子メディアを利用して、将来に希望を託すという戦略だった。
『インターネット』にかける夢…… そういえば、web にのせるホームページ作成ソフトは、その名も『Dreamweaver』(夢織り人)でした。
満願寺住職 若田等慧