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住職のお話

『老僧』

その昔、さる先輩が言うには「この間、むかしのモノを読んでいたら『四十すぎなる老僧が…』という表現に出会ったよ。
それでいくと、私ももう立派な老僧かねー」…その時、三十すぎたばかりの若輩の私は、一回り年上の先輩の感興についていくことは出来ず、あいまいな反応を示したに過ぎなかったと記憶する。
ただし、その時先輩の放った上記の言葉だけは、なぜか三十幾星霜を経た今日も記憶の底から立ち上がってくる。
「四十すぎなる老僧がーー」という一文には、残念ながらまだ直接お目にかかっていないのだが、かくいう私もすでに齢は古来希なる域に近づいた。 十年一昔というからには、上のエピソードは充分むかしの出来事であるが、さらにその時先輩が言った「むかしのモノ」とは一体いつの時代の事なのか。 すでに先輩の消息もはっきりしないし、たとえお会いできても傘寿を越えた人が、そんな記憶を保っているかは甚だおぼつかない。
人は長生きをすれば、それなりに過去を沢山取り入れたはずであり、それが全て記憶に残っていれば、それぞれの歴史も積み重なっていくわけだけれども、幸か不幸か人の脳はコンピュータと違って、忘却の機能も良く働くから、一般的には人の歴史もほとんどは失われて痕跡すら残さないだろう。
ただ、まれに言葉や文字やらが何かの形で残された場合、「むかしを語るモノ」として、時に甦ることもあるだろう。この一文も孫子の代のお笑い草になればさいわい−−。
満願寺住職 若田等慧